この記事は「父の葬儀への帰省も株主優待でコスト カット: Part 2」の続きです。
Day 2: 令和元年十月九日 (死後5日目)
朝食
仮通夜への宿泊者向けには、翌朝、和食の簡単なブュッフェが用意されていました。
式場の様子
朝には外から光が差して、夜中に暗かった像達も明るくなっていました。
その後、弟が運営する民泊に移動し、今後の宿泊の準備を整えた後、父の写真を大量にデジタル撮影し、式場に戻ってデータを式場の運営者に渡しました。
吉野家
式場の準備が一旦は式場関係者待ちになった為、ここらで一旦腹ごしらえをしようと、その場に居た5人用に吉野家のテイクアウトとして食料調達に出掛けました。
なんと、牛については10%OFFキャンペーンが開催されていました。
全員朝食は摂っていたので、小盛にしました。
優待券は300円毎に使えるのですが、上手に注文した結果、総額1620円でしたので、手出し120円で購入致しました!
式場に戻って、皆で頂きました。
葬儀場設営の様子
先ずは献花以外の装花類が設営されていました。
遺族でも、下記のような遺品類を展示し始めました。
また、父が好きだった酒類を遺影の左右に献呈しました。
正面は下記のような感じです。
本通夜
いよいよ本通夜が始まりました。
読経中の焼香後、管理人が息子を代表し、お別れの挨拶として弔辞を述べました。
棒読みの様にならないように、全体構成のみ事前に考えて置き、言葉はその場で選びながら組み立てました。
過去に父と会話をした事も有る管理人の友人にも参列して頂けました。とてもとてもありがたいです。
食事会
本通夜後、食事会が有りました。
更に友人・知人と挨拶・会話しました。
中には仕事のご多用の最中に立ち寄って頂けた方もいらっしゃいました。とてもとてもありがたいです。
まだお客様はいらっしゃったのですが、昨日2時間しか眠れていなかったので、先に失礼させて頂きました。
Day 3: 令和元年十月十日 (死後6日目)
出立ての膳
このような朝食を、別れの盃と共に頂きました。
ここでの別れの盃は、日本酒ではなく焼酎です。
頭陀袋
この、紙で出来た見做しの六文銭が入った布袋の中に、遺族それぞれの爪や髪を切って入れました。
告別式
いよいよ告別式が始まりました。
通夜と同様に、読経中の焼香後、管理人は息子を代表し、お別れの挨拶として弔辞を、主旨を変えて述べました。
棒読みの様にならないように、全体構成のみ事前に考えて置き、言葉はその場で選びながら組み立てました。
出棺
出棺前の最後の別れの盃・花入れでは、何人もの方々が父に声を掛けたり泣いていらっしゃったりしました。
管理人は遺影を持って退場し、火葬場に向かいました。
点火
点火は喪主である母が行いました。
初七日法要
近頃の慣例として、火葬中に初七日法要を繰り上げ催行して頂きました。
収骨
改めて火葬場に赴き、姿の変わった父を拝見の上、骨を拾いました。
帰宅
葬儀屋の方々がいらっしゃる前に取り急ぎ遺骨を設置した様子はこちらです。
故人を偲ぶ会
晩より、身内だけで「故人を偲ぶ会」と称して、カラオケもあるお店を貸し切って打ち上げを開催しました。
第一部は親族一同と一緒に、第二部は受付等を手伝って頂いたより身近な親族だけが残って楽しみました。
持ち込んだ父の遺影の傍には、生前大好きだった玉子焼きやビールを供えました。
父は皆で楽しくワイワイやるのが好きでしたので、このような催しは良いと思いました。
話が盛り上がり、24:00を過ぎるまで楽しみました。
Day 4: 令和元年十月十一日 (死後7日目)
宮崎空港
管理人の妻は仕事の都合で先に帰京する予定でしたので、見送りに行きました。
昼食
管理人の実家にて、家族と一緒に前日の故人を偲ぶ会の余り物を昼食として頂きつつ、管理人が在郷中のごく大まかな計画を立てたりしました。
ご敬供品の整理
おめさまし等、ご敬供品の中には足の早い物が多くありますので、取り急ぎ整理致しました。
仮眠
仮通夜・本通夜・告別式と、連日のイベントで流石に疲れたのか、管理人も含めた遺族は宅内の各々思い思いの場所で仮眠を取りました。
管理人も脚を伸ばせる長いソファーで仮眠しました。
会食
夜は、仕事を終えた友人と会食しました。
1軒目
良い感じの居酒屋風ダイニング バーで、色々ご馳走頂きました。
2軒目
バーで飲んだり歌ったりしました。主に音楽繋がりの友人でして。
Part 4へと続きます。